重要文化財 美術工芸品

嶋井家文書

よみがな/しまいけもんじょ
時代/安土・桃山、江戸
所在地/福岡市早良区百道浜3丁目1-1 福岡市博物館
【指定年月日】
令和5年6月27日

【公開等】
問い合わせ先: 福岡市博物館 tel 092-845-5011

嶋井家文書は、安土桃山時代に活躍した嶋井宗室(宗叱とも、?~1615)以降の嶋井家に関する史料群である。
室町時代後期、博多を支配していた大友宗麟やその家臣が宗室に送った書状には、茶の湯、貿易、博多内での紛争について等多岐にわたって記されており、大友氏支配下の博多における嶋井家の存在の大きさを物語っている。茶人でもあった宗室は、肩衝型の茶入としては当時「天下三名物」の一つとされていた「楢柴」を所持していたが、名物調達を可能にしたのは、貿易に深く関与していたからであった。
宗室は茶の湯を通じて、大友氏だけでなく、中国・九州地方をはじめとする大名や、千利休ら堺の町衆との交流を積極的に行った。千利休の書状からは、利休や秀吉との交流を具体的に知ることができる。また、秀吉の朝鮮出兵計画が浮上した際には、宗義智が宗室に起請文を差し出しており、義智の宗室に対する絶大な信頼を読み取ることができる。
江戸時代、朱印船貿易が行われるようになると、宗室の子信吉(徳左衛門)、孫正則(権平)は、貿易船に嶋井家が貸付を行い、帰還の際は利息と元金を返済させる「投銀」を行うようになった。投銀は日本の商人だけではなく、ポルトガル商人に対しても行われていた。これらの証文は当時の貿易の実態を知ることができる貴重な史料である。
しかし、鎖国政策によって嶋井家は貿易に関与できなくなり、宝永7年(1710)には「追々逼迫に及び渡世仕り難」きほどの事態に陥ったこともあったが、藩領内の綿・米取引、御用金取扱等の金融業を通じて、博多の経済に重きをなすようになった。また、宗室以来の由緒によって、神屋氏、大賀氏と共に、由緒町人として別格の扱いを受け、年行司も務めた。
本文書は、安土桃山時代から江戸時代末期までの史料がまとまって伝来する商家の史料群であり、他に類例を見ないものである。特に宗室、信吉、正則の3代に関しては、我が国の政治史、文化史、経済史、対外交流史に関する重要な史料が豊富であり、学術的価値が高い。

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