稲員(いなかず)氏は、高良玉垂宮を守護する氏人で、延暦21年(802)、草壁保只(やすただ)が三井郡稲数村に住んだことから稲員(稲数)に改姓、正応3年(1290)に稲数良参が上妻群広川荘古賀村に移ったと伝えられる。戦国期には大友氏の家臣となり、江戸時代は代々久留米藩の大庄屋を務めながら、高良大社の神管頭領として同社の祭式にも重要な役割を担っていた。本史料は、稲員家に伝わる文書群で、享禄2年(1529)の「稲員十郎右衛門寄進状」から明治時代にかけての文書340通からなる。慶長13年(1608)の「田中吉政触書」や元和4年(1618)の「上妻群中掟」、高良大社関係史料等、貴重な文書を含む。中世は国人、近世は大庄屋として、また高良大社の神管頭領として活躍した稲員氏と筑後国の歴史を物語る史料である。