弥生時代前期(約2400~2200年前)の集落で、東西約80m、南北約110mの溝が楕円形に巡っており、環濠集落である。溝の内部には住居跡やコメなどの食料の保管をしていた貯蔵穴が見つかっており、周囲には水田跡が広がっている。水田には井堰を設置して水量を調整するなど、整備された水田が広がっていたことが分かっている。用水路からは木製の鋤・鍬や稲の穂を摘む道具である石庖丁など農工具が多く発見されており、水田からは当時の人々の足跡も発見されている。