上野家は江戸時代に山本郡柳坂組の大庄屋を勤めた家柄である。文久4年 (1864)の家相図によると、主屋と藩主などが休憩等に使用した御成間を配し、池泉回遊式庭園、離屋、複数の土蔵などが描かれている。当時の主屋と付属屋 (土蔵・長屋門他) は失われているが、御成間と庭園が現存する。御成間は寄棟造、平屋建て、茅葺(現在はトタンで被覆)、間取りは9畳敷の「上の間」「次の間」の畳敷と板敷の2つの小部屋を配置し、庭園に面する二方に縁を回す。室内は床高を一段高くして長押をまわし「上の間」「次の間」ともに狆潜り付き幅一間の床の間を構える。二つの座敷からは兜山を借景とした池泉回遊式庭園を眺めることができる。建設年代は19 世紀初頭の文化年間と考えられる。上野家御成間は、建物と庭園が一体となって藩主を迎えるに相応しい空間と意匠を備えており、江戸時代の大庄屋屋敷を構成する建物として貴重である。