正平20年(1365・南朝年号)願阿(西光寺に梵鐘を奉納した沙弥祖西の祖父)が白山権現を祀った貫山権現に奉納したもの。天正年間(1573~1592)貫山権現の社坊は大友氏の兵火で焼失したが、この梵鐘だけは残り、寛永年間(1624~1644)常慶院栄尊が小倉領修験所であった岳音寺建立の際、この寺の軒先に吊るして現代に伝えたといわれる。梵鐘には鋳工の名は刻まれていないが、竜頭の中央に突き出た宝珠を乗せる蓮華座の下部左右に空隙をつくる作風により、小倉の鋳物師の作と推定される。