髙見神社は、神功皇后の朝鮮出兵の際に戦勝を祈願して、洞海湾付近の高見山に皇祖神十二柱(こうそしんじゅうにはしら)を祀ったのが創始とされる。明治30年(1897)2月に官営製鐵所の建設地が遠賀郡八幡村に決定し、髙見神社が鎮座する高見山は工場用地の一部となり、明治31年に近隣の豊山八幡神社(とよやまはちまんじんじゃ)の境内に遷座された。昭和9年(1934)1月の日本製鐵株式会社の創設等を契機に、八幡製鐵所の鎮守社として髙見神社を建立する機運が高まり、大蔵入地(おおくらいりち)に遷座地を決定した。第1期工事は、昭和10年10月から昭和12年4月にかけて実施され、本殿・祝詞舎(のりとや)・拝殿・渡廊(わたりろう)・祭舎(さいしゃ)・透塀門(すきべいもん)及び透塀・第一鳥居・第二鳥居等が完成した。第2期工事は、昭和12年4月から昭和13年3月にかけて実施され、神饌所(しんせんしょ)・神楽殿及び渡廊下・手水舎(てみずしゃ)等が完成した。第3期工事は、昭和13年から昭和17年にかけて実施され、神門・袖舎(そでしゃ)・廻廊・掖神門(わきしんもん)・渡廊下等が昭和15年に完成し、同年11月3日に竣工記念祭が執行された。髙見神社は、内務省神社局技師の角南隆(すなみたかし)が神社造営の設計顧問となり、同局考証課長の宮地直一(みやじなおかず)が祭祀考証や殿内設備の設計を担当するなど、全国の官国幣社の神社行政を主導する神社建築の第一人者らが関与し、八幡製鐵所の資金や技術等を駆使して造営された。社殿は良質な台湾檜を用いた素木造(しらきづくり)で、祭祀のしやすさや多数参拝を考慮した機能的な配置計画は先駆的であり、角南隆を中心とする内務省神社局による近代の神社建築の特徴を示す。また、丘陵地の地形を活かした巧みな配置や変化に富んだ屋根の構成など、大規模な社殿群を優れた意匠でまとめており、日本の近代製鉄の礎を築いた八幡製鐵所の鎮守社に相応しい壮麗な社頭景観を形成する。これら一連の社殿群が良好な状態で現存しており、県内における昭和前期の神社建築を代表する貴重な文化財である。