年次が明らかなもので、応永26年(1419)「大内盛見奉行人連署状」から文久2年(1862)「檀廻諸国通行証」までの74通からなる。大内氏及び大友氏の求菩提山保護・統制に関する中世史料は、大内盛見・持世・教弘(応永26年〔1419〕~文安元年〔1444〕)、大友親繁(応仁2年〔1468〕)、大内政弘(文明3年〔1471〕)、大友親治(明応3年〔1494〕~明応9年〔1500〕)、大内義興・義隆文書(大永6年〔1526〕~天文23年〔1554〕)、大友義鎮(宗麟)・義統(永禄2年〔1559〕~永禄9年〔1566〕)のように、両氏の求菩提山支配の交替状況がうかがえる。同時に求菩提山領及び領内の在地領主の同山に対する関係やその存在形態も明らかになる。近世史料は、小倉藩及び聖護院からの補任状等があり、中世から近世にかけて支配勢力の交替によって、その発給文書が変遷する過程を鮮やかに知ることができる。また、黒田如水主従詩歌や座主豪貴和歌等は書跡としても優品である。求菩提山を中心に豊前国の中世から近世にかけての歴史を伝える史料として、質量ともに優れたものである。