北九州市小倉南区中吉田の綿都美(わたつみ)神社宮司平野家に伝来した中世から近現代にかけての文書群である。中世文書24通(巻子装2巻)、近世文書12冊22通、近現代文書22冊56通の計2巻34冊78通からなる。中世文書で最も古い文書は、元徳2年(1330)10月11日「武藤崇観(頼村)寄進状」で、少弐氏の一族である武藤崇観が「豊前国吉田村氏社」に「薭畑四段廿」を寄進したものである。元弘4年(1334)には、崇観が龍王宮(現・綿都美神社)、八幡宮(浜宮八幡宮)、氏社に対し「吉田分壹町参段」を神田として寄進している。以後の中世文書では、豊前守護の大内氏が吉田大宮司の訴えにより崇観の寄進分を安堵していることが確認でき、16世紀半ばまで崇観の寄進地である「吉田分壹町参段」が3社の根本所領であったと考えられる。近世文書は、中世より龍王宮宮司を務めた吉田大宮司氏が平野氏を名乗り、京都の吉田家から代々神道裁許状(神職等に発行された免許状)を授与されたことが分かる一連の文書群である。近代文書では、平野氏が保長・区長等を歴任したことを示す史料や明治~昭和期における綿都美神社の運営に関する記録など、近代の綿都美神社及び地域の歴史を知ることができる史料が含まれる。本文書は、数少ない少弐氏庶流の関連史料をはじめ、大内氏による中世龍王宮等3社の支配について明らかにするものであり、さらに近世以降の宮司平野家及び地域の歴史を明らかにすることができる文書群である。