短甲を装着した大形な石人。装着した短甲は、原形を比較的忠実に写している。総体に欠損が多いが、特に顔面と背面は甚だしく、これらは風化による磨損のほか、病を直すため、木槌で打ち敲いたり、打ち欠いて持ち去ると全快するという、この地方の信仰があったためと思われる。朱の残りが部分的に顕著で、当初は朱彩鮮かな厳然とした武装石人であったと考えられる。この石人については、早く矢野一貞が「筑後将士軍談」に記載しており、丘陵上に設けられた古墳(国指定史跡、石人山古墳)の前に立っていて、その後方に横口式石棺(直弧文がある)が存在する。