企救郡小森手永の大庄屋、友石承之助(1825~1875)の安政5年(1858)8月末から明治4年(1871)2月の13年間にわたる日記である。大庄屋は在勤中本姓を名乗らず、手永名を冠するため、「小森承之助」を通称にしていた。小倉藩政の機構や政治経済動向、それに対する庶民の生活について知ることができる貴重な史料である。