本史料は、八女市黒木町大字木屋(こや)の木屋(きや)家に伝わる南北朝時代から近代にかけての文書群である。南北朝時代に当地を領有し、宮方として活躍した木屋行実(きやゆきざね、1334?~?)が作成した文書をはじめとする南北朝時代の文書8通、慶長年間までの文書5通、柳川藩主書状2通、近世文書17点、明治時代の文書9点からなる。中世文書及び柳川藩主書状の計15通は八女市指定文化財となっている。正平8年(1353)から正平11年(1356)までの史料は、北部九州の各所における行実の戦功について述べている。特に、正平14年(1359)の軍忠状は大保原合戦について記された宮方唯一の一次史料であり、筑後川を渡った日付や合戦の戦闘時間が判明する。柳川藩主の書状のうちの1通には、柳川藩2代藩主立花忠茂の花押が認められ、自らの体調について女性宛てに出した書状であると考えられる。同書状は江戸時代の木屋氏が柳川藩の侍医となったこととの関係を指摘できる。明治21年(1888)に作成された系図は、中世から明治時代の定実(さだざね)に至るまでの木屋氏の歴史、作成当時の木屋氏の家系に対する意識を読み取ることができる。定実は明治6年(1873)に小学校の三等助教に任じられ、明治13年(1880)に県会議員、明治33年(1900)には郡会議員に当選し、地元の名士として活躍した。木屋家文書は、南北朝時代の一次史料として本県の歴史を明らかにするものであり、木屋家に伝来した近世・近代の文書は、地元の名士として活躍した木屋家の歴史を知ることができる貴重な史料群である。