石塚山古墳は、全長110m前後、後円部径約60m、2段築成の定形化した前方後円墳である。後円部墳頂中央の第1主体部の竪穴式石槨は江戸時代に掘削されていたが、三角縁神獣鏡7面と細線式獣像鏡1面の計8面、小札革綴冑、素環頭大刀、鉄刀、平造りと定角式銅鏃、鉄鏃、鉄斧、ヤリガンナ、琥珀製勾玉1点、碧玉製管玉3点、二重口縁壺、甕、イイダコ壺などが出土している。出土した三角縁神獣鏡は、1・2号鏡が天王・日月獣文帯三神三獣鏡で同笵鏡である。3号鏡は獣文帯三神三獣鏡、4・5号鏡が天王・日月獣文帯四神四獣鏡、6号鏡が三角縁吾作銘四神四獣鏡、7号鏡が日・月獣文帯四神四獣鏡、8号鏡が細線式獣帯鏡片である。これらの三角縁神獣鏡は、同笵鏡が列島各地に分有することが知られており、6号鏡は京都府椿井大塚山古墳、兵庫県西求女塚古墳、4・5号鏡は大野城市御陵古墳、岡山県湯迫車塚古墳、1・2号鏡は先の椿井大塚山古墳のほか、筑紫野市の原口古墳、大分県の赤塚古墳など、畿内を中心として西日本各地の首長墓に分有関係を持つ。副葬品には小札革綴冑を含むことから、被葬者は軍事的性格を持ったとみられるだけではなく、周防灘の北側から関門海峡にかけて勢力範囲として、眼下に望む周防灘でイイダコ壺漁を行った海人集団も統括し、多数の三角縁神獣鏡から倭王権と密接な関係を有したことがうかがえる。