筑紫平野の南辺を画する筑肥山地の北縁は、耳納(水縄)山地と呼ばれている。その北麓は急峻な崖をなし、平野部から眺めた姿があたかも屏風のように見えることから「屏風山」と言われている。この耳納山地は、追分・高椋・柳坂をはじめとする10の断層で構成された「水縄活断層系」の山地で、久留米市からうきは市にかけて延長約20kmで認められている。『日本書紀』天武天皇七年(679)十二月条にある「筑紫国大地震」は、水縄断層の活動であることが発掘調査などで確認されており、このことから文献に残るわが国最古の地震と言える。