10世紀頃の中国揚子江の下流に呉越国があり、国王銭弘俶が8万4千の塔を造ったが、日本に古い時代に4基渡来したと考えられ、この1基は、日延という僧が請来し肥前の国司に献じたものといわれている。中央に相輪を立て、四隅に馬耳形の飾(方立)をつけ、中に仏坐像・神将をつくり出す。塔身の龕の中には釈迦の前世の物語である本生譚を描き、蓮華座の上には各面に3体の坐仏をめぐらしている。国王は、インドの仏教の保護者であった阿育王の故事にならい、この塔を造ったとされるもので、塔の内部には「呉越国王 銭弘俶敬造八万四千宝 塔乙卯歳記」と銘文があり、顕徳2年(955)に造られたことがわかる。この特徴的な塔の形は非常に貴ばれ、日本では宝篋印塔と呼ばれ石造でつくられてゆく。